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川原寺跡


場所:奈良県高市郡明日香村川原

川原寺は古代日本の飛鳥に所在し、飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ飛鳥の四大寺に数えられ、 7世紀半ばの天智天皇の時代に建立されたものと思われるが、日本書紀にはこの寺の創建に関する記述がなく、 「謎の大寺」とも言われている。別名を弘福寺(ぐふくじ)という。

飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であったが、中世以降衰微した。
川原寺跡は国の史跡に指定されている。

昭和32年から34年に実施された発掘調査で、川原寺の伽藍配置は一塔二金堂式の特異なものであったことが判明し、 「川原寺式伽藍配置」と称されている。川原寺では中門左右から出た廻廊が伽藍中心部を方形に区切り、 廻廊の北辺中央に中金堂が位置する。廻廊で囲まれた区画内には中金堂の手前右(東)に五重塔、西に西金堂が建つ。

発掘調査の結果によれば、西金堂は現存する唐招提寺金堂と同様に正面を吹き放ちとした建築であり、 開放的な建物であったことがわかっている。 これらの建物は後にことごとく失われ、礎石のみが残っている。

中金堂の礎石には他に類例のない大理石の礎石が使用されている点が注意される。 また、川原寺から出土する創建時の瓦は「複弁蓮花文瓦」と呼ばれる、 8枚の花びらのそれぞれを2つに分けた形式の複雑なデザインのもので、これが以後の瓦文様の主流となった。

川原寺は何度も炎上しており、鎌倉時代にはいったん再興されるが、室町時代末期に雷火で再び焼失し、 以後はかつての規模を取り戻すことはなかった。 また川原寺の裏山の板蓋神社から、千数百点におよぶ塑像の断片やせん仏が発掘されている。









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