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石塔寺 三重石塔


場所:滋賀県東近江市石塔町860

石塔寺(いしどうじ)は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院である。 境内には、阿育王塔と呼ばれる石造三重塔を中心に、数万基の石塔や石仏が並んでいる。 山号は阿育王山、本尊は聖観世音菩薩。
毎年8月末には、「石塔フェスティバル(石塔寺万燈祭)」が開かれ、石塔と石仏に献灯が行われる。 近江西国三十三箇所観音霊場第二十二番札所。

石塔寺の創建は古く、あの聖徳太子が創建したとの伝承を持っている。 伝承によれば、聖徳太子は近江に48か寺を建立し、石塔寺は48番目の満願の寺院で、本願成就寺と称したという。
事実、石塔寺がある滋賀県湖東地区には長命寺、百済寺など、聖徳太子創建伝承をもつ寺院が多い。 しかしながら、実際のことはよくわかっておらず、聖徳太子とは何らかのつながりのあったものと憶測にとどまっている。

石塔寺境内にある数万基の石塔群の中で、最も大きな三重石塔については、 面白い伝承がある。平安時代の1003年に唐に留学した比叡山の僧が、五台山に滞在中、 五台山の僧から、「昔インドの阿育王が仏教隆盛を願って三千世界に撒布した8万4千基の仏舎利塔のうち、 2基が日本に飛来しており、1基は琵琶湖の湖中に沈み、1基は近江国渡来山の土中にある」と聞いた。

僧は日本に手紙を送ってこのことを知らせ、3年後の1006年、播州明石(兵庫県明石市)の僧・義観僧都がこの手紙を入手し、 一条天皇に上奏した。そして、一条天皇の勅命により、塔の探索を行い、 石塔寺の裏山に大きな塚を発見し掘ってみたところ、阿育王塔が出土した。 一条天皇は大変喜び、七堂伽藍を新たに建立し、寺号を阿育王山石塔寺と改号した。 寺は一条天皇の勅願寺となり、隆盛を極め、八十余坊の大伽藍を築いたという。

実際のところ、この石塔は、奈良時代前期(7世紀)頃に、朝鮮半島系の渡来人によって建立されたとみるのが通説である。 この石塔は、日本各地にある中世以前の石塔とは全く異なった様式をもつものであり、 同時期に百済からの渡来人700名余がこの地域に移住しており、朝鮮半島の古代の石造物に類似していることから、 石塔寺の三重石塔も百済系の渡来人によって建立されたものであるとの見方が一般的である。

また、鎌倉時代頃から、三重石塔の周りの境内に、五輪塔や石仏が多数奉納されはじめたが、 安土桃山時代、織田信長の焼き討ちにより、七堂伽藍、木造建築物、寺宝が全て焼失し、寺は荒廃した。 その後、江戸時代初期、天海が弟子の行賢に指示し、一部復興されている。












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