元寇防塁
場所:福岡市早良区藤崎 早良警察署北側の緑地
元寇防塁は、鎌倉時代に博多湾沿岸一帯に、蒙古襲来に備えて築かれた石による防塁である。
この防塁のおかげで弘安の役の際には防塁が築かれたところからはモンゴル・高麗軍は上陸することが出来なかったようです。
国指定の史跡に指定、ちなみに元寇防塁は石築地(いしついじ)が本来の呼び名である。
福岡県内には防塁が今もなお複数有り、以下の写真は福岡市早良区藤崎の早良警察署近くのものである。
元寇防塁は、築造は国ごとに区域を定め、大隅国の石築地賦役文書に拠れば、
武家領や本所一円地を問わずに田1反あたり1寸の割合で石築地役が賦課されたという。
半年という短期間で築かせ、分担国によって築造の方法が異なっている。
高さ・幅は平均して2メートルである。総延長は、西の福岡市西区今津から東の福岡市東区香椎までの
約20キロメートルに及ぶというのが定説になっている。内部には小石を詰め、陸側に傾斜を持たせて海側を切り立たせている。
築地には楯を並べて旗を立て、河口や波打ち際には乱杭が設けられた。
現存する元寇防塁は、埋め立てなどにより鎌倉時代当時よりも海岸線が沖へ延びているため風化し、
江戸時代の福岡城築城の際に、石垣の石として防塁の大半が失われたと考えられている。
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